読んで、観て、聴いて、書く。游文舎企画委員の日々の雑感や読書ノート。
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過去の展示作品


2010年12月11日〜28日

名画で遊ぶ エピキュリアン・吉野榮子展
 

描いてみて思うことは、「その作家の技法で他の物や、似たような別の絵を描く」ということが、楽しいということです。極端な技法の人の方がまねしやすいのですが、同じ作家でもいろいろな時代があります。
仲間と風景画や人物画を同じやり方で描いてみました。皆おもしろがってくれました。
そこでゴッホとかマチスとかの描き方で人物画も描いていみました。ゴッホはまじめで、タッチが荒々しい。マチスは軽瓢。ゴーギャンはやや宗教がかかった感じの強さと南国の香り。キスリングは神秘的なほどの艶かしさ。描いてみるとその人の文法が分かってきます。 まだ使いこなしてはいないと思うのですが……ちょっと遊んでみました。


2010年11月6日〜14日

伊藤 剰展「宙」
 

1954年 柏崎市生まれ
1987年 州立オハイオ大学大学院卒業 彫刻、陶芸専攻
1987年 全国彫刻コンクール ダラス市
1991年 サントリー美術館大賞展 サントリー美術館
2003年 伊藤剰・植木孝二二人展 ソフィアセンター
 


2010年10月9日〜17日

関谷昌夫展
 

1953年 十日町市松代生まれ
1996年 主体展初出品初入選
2001年 主体美術協会会員
2009年 初個展(上越市・大島画廊)


2010年9月

田辺和栄展
 

田辺さんは柏崎市高柳町高尾在住 自由美術協会会員 抽象画を描き続けてるが、普通の抽象画と違って、いつもモチーフは風景や自然である。田園風景を抽象表現として展開するという大変珍しい画風の作家である。今回の個展は田辺さんの独自性がよく表れた展示になっていると思う。

 


2010年8月21日〜29日

関根哲男展「原生」
 

1942 新潟県生まれ
1965 多摩美術大学油画科卒業 
関根氏はシリーズ「原生」としての仕事のほかに、長岡にあったギャラリーdotONEの名物企画「笑えるアート展」で来場者投票連続チャンピオンとなるなど、戯れごとをモチーフにした作品も数多くつくっている。


2010年8月8日〜16日

第一回岩下コレクション展「凧と団扇と手拭い」
 

柏崎在住の 故岩下庄司氏のコレクションは、「痴娯の家」のコレクションなど膨大なもの。この中の一部 凧と団扇、手拭いの収集品の一部をご覧にいれる。
夏の時期にふさわしいイベントとになるだろう。


2010年7月10日〜18日

三上祥司展「回想と展望」
 

三上氏は市内栄町の造形作家。「回想」では70年代の石膏トルソから、ボールペン画、流木アート、お尻スタンプなど40年の軌跡が展示。 会期初日に前山忠氏との対談が行われた。小冊子「絵のない額」の提起と対談による実験がすなわち「展望」となるのだろう。


2010年6月12日〜20日

佐藤伸夫展「あおい海」
 

変幻自在の色と線
オイルパステルや水彩、油彩やアクリルなどさまざまな画材を駆使した作品62点の個展。
佐藤さんの想像力は、陽春の海を渡る
爽やかな風と共にある。


2010年5月15日〜23日

高橋 章展「木喰仏に曳かれて」
 

市内在住の高橋氏の2度目の游文舎での展覧会

映像とポスター作品を展示
作品としての木喰仏を捉えるとき、柳宗悦のいう「微笑仏」は、晩年の特徴を端的に表現した造語と言える。いまも木喰ファンの多くが越後を訪れるのは、あの独特の微笑みに出会うためである。去る5月に木喰仏画の個展を開かれた高橋章さんも、早くからその魅力に曳きつけられたお一人であった。
ところで民俗宗教という別の観点から木喰仏を捉えるとき、もう一つの強い個性が指摘できる。それは「庶民性」である。へそ曲がりな私などは、むしろそうした庶民との深い関わりを示す木喰仏に強く魅かれる。平成元年に開催した「越佐の木喰仏」展では、そんな木喰仏のいくつかに出会うことができた。


2010年4月17日〜5月2日

開館2周年記念 アンティエ・グメルス—展
 

游文舎開館二周年記念特別展として開催された、アンティエ・グメルスさんの個展には市内外から多くの人が訪れた。アンティエさんは七年前、脳の手術を受けて以来、まばゆい光が見えるという。その光のエネルギーに駆られるように描かれた作品で、会場を美しく神秘的な世界へと変貌させ、観客を魅了した。
初日にはアンティエさんのギャラリートークも行われた。旧西ドイツ・レーゲンスブルグに生まれ、イタリアに移住し、現在日本に住んでいる自身の「旅」と、作品を通し自己の内面を見つめる「内なる旅」について語っていただいた。
游文舎に通じる道路の角に据えられた案内表示。昨夏の「大地の芸術祭」でおなじみとなった「目」である。ここから既にアンティエ・ワールドは始まっていた。見ている「私」を透明にし、さらにつきぬけていくような無心の「目」に誘われ、アンティエさんの作品世界に入っていく。
エントランスホールは「紙」に描かれた作品のスペースとなり、光シリーズの直前に制作された版画集『夜曲』も展示された。日本を代表するシュルレアリスムの詩人・評論家、瀧口修造の同名の詩をもとにしたもので、モノクロームの、静かで稠密な「夜の絵」である。詩句から自在に展開する画面と、「闇」の微細な階調が印象的だ。 直後に一転し、色彩と光にあふれた作品が生まれる。メイン・ギャラリーでは、黒く地塗りされたキャンバスに、絵の具だけでなく、鏡やラメや水晶など光る素材も使って描かれた大作・小品が並び、まばゆいばかりの光の世界を現出させた。しかしいずれもどこか懐かしく心地よい。


2010年3月21日〜28日

たかはし藤水 植物インスタレーション
 

草月流師範のたかはし藤水は数年前から地元柏崎を中心に、「植物インスタレーション」を続けている。今回の「いづる」は游文舎では三回目の個展だ。一回目は乾燥させた笹の葉を使って無数の蠢く生命体を表現した。二回目は椰子の葉から作ったラフィアをくもの巣のように張り巡らせて、見る者を呪縛する世界を現出させた。
今回は絡みつくフジの蔓と這いずるクズの茎を短く切断し、斧で切り裂いて素材とし、それを8メートル×5メートルの床の上に放射状に展開した。野生の植物を無機質な空間に配置したらどうなるか。たかはしが追求する表現がそこにある。
無定型な伸び方をするフジやクズを自然状態から、人工の状態に馴致する。しかし、馴致仕切れないものが残る。現代アート系のインスタレーションではありえない世界がそこに広がる。植物は馴致に抗って野生を主張する。野生と人工とが拮抗する緊張感が生まれてくる。
全体としてみれば、それはたかはしが創造する新たな生命体のようにも見える。また細部を見ればそれらは紛れもなく、フジであり、クズであって、全体と細部との表情の違いを見るのも楽しみのひとつである。