2011年12月3日〜11日
関根哲男展「原生」
そこでゴッホとかマチスとかの描き方で人物画も描いていみました。ゴッホはまじめで、タッチが荒々しい。マチスは軽瓢。ゴーギャンはやや宗教がかかった感じの強さと南国の香り。キスリングは神秘的なほどの艶かしさ。描いてみるとその人の文法が分かってきます。 まだ使いこなしてはいないと思うのですが……ちょっと遊んでみました。
2011年11月19日〜27日
2011年10月8日〜23日
フランソワ・ビュルラン展
小説『きことわ』で第144回芥川賞を受賞した作家の朝吹真理子さんが18日、柏崎を訪れた。目的は23日まで市内新橋の文学と美術のライブラリー「游文舎」で開かれている、フランソワ・ビュルラン展「深い闇の奥底」を観るためである。
朝吹さんは今年8月に一週間を京都で過ごした。作家のいしいしんじさんに「京都に行ったらギャルリー宮脇に行かなきゃ」と言われ、案内されて宮脇へ。そこで朝吹さんは初めてビュルランの作品に出逢うことになる。「游文舎」で展示されている「深い闇の奥底」シリーズの一端に触れて、深く魅せられてしまったという。
ギャルリー宮脇代表の宮脇豊さんに「柏崎で展示することになった」ことを知らされ、「絶対観に行きたい」と思い、年末の雑誌の締め切りで超多忙な日程をやりくりして、柏崎にやってきた。一時間ほどしか滞在時間はなかったが、ビュルランの作品をじっくりと鑑賞した。
その作品について朝吹さんは「いつ誰が描いたのか、時代や作家性を考える必要のない匿名性の高い作品だ。ダイレクトに蠢きや空気の振動が伝わってくる。見たこともないものが描かれているが、全て腑に落ちる。リズミカルな音楽性も持っている」と話した。
2011年9月24日〜10月1日
2011年8月6日〜14日
2011年7月16日〜24日
霜田文子 Box Art展「不可能の卵」
“卵”は一個の細胞であり、遺伝子にスイッチが入るとそれは分裂を繰り返して生命を誕生させる。だから“卵”は生命そのものの象徴であり、さらには新生へと向かう希望の象徴でもあり得る。しかし、割れてしまった“卵”、または殻だけになってしまった“卵”はいったいなにを象徴することができるのだろうか。
霜田文子のボックス・アートの初期の作品《ダ・ヴィンチの卵》を見ることで、それは理解されるだろう。ダ・ヴィンチの描く頭蓋骨のデッサンと、割れた卵が併置されていることから、それが人間の脳の喩であることは明らかである。
彼女の作品はその後次第に複雑さを増していく。“卵”の周辺に貼り付けられているのは言葉の断片である。なぜなら脳は言葉を生み出す場所であるから。“卵”は作品の中で、言葉と密接に結びつけられているのだ。
割れた卵を中心にして、さまざまな“もの”が呼び寄せられてくる。赤い糸であったり、アクリルのポールであったり、銅線であったり、錆びた鉄の欠片であったりするが、“卵”に拮抗するものであってはならない。なぜなら、彼女にとってボックス・アート作品に集められ、呼び寄せられてくる“もの”は脳 言葉は“もの”ではない。彼女の作品の中で言葉は“ものがみる夢”のようなあり方をする。ボックス・アートに集められた“もの”たちは、“卵”が支配する時空間の中で記号化され、言葉の代替物となることで、初めて夢をみることを許される。その”夢”は言うまでもなく“悪夢”を含んだ意味でのそれであり、“もの”達はそこで言語の世界でいう“詩”の歌い手となる。
霜田文子のボックス・アートは“もので書かれた詩”に他ならない。だから、東日本大震災にも、原発事故にも真摯に向き合った作品となり得た。詩人・長谷川龍生が東日本大震災の体験を神話化した「鹿、約百頭の」という作品に触発された《ケモノタチ、ソラヘ》は、彼女の到達点をもっともよく示している。
それにしても“卵”とは……。割れて殻だけになった“卵”は孤絶のイメージを際立たせる。それは、言葉というものを徹底して追求する詩人が強いられる孤立と通底しないではいない。だからそれはすでに、希望や可能性のもとにはない。
霜田文子、ボックス・アート展のタイトル“不可能の卵”は、瀧口修造の「星は人の指ほどの」という詩の一節から採られた。
夢の破片から一日ははじまる。
黒い指頭のあとが裂け
不可能の卵がまたひとつ生まれる。
2011年6月11日〜19日
2011年5月21日〜29日
2011年5月1日〜5月14日
2011年5月7日
巌谷國士氏講演会「森・メルヘン・シュルレアリズム」
3周年を記念して美術評論家・フランス文学者として名高い巖谷國士氏の講演会を開催します。東京都庭園美術館で開催中の巖谷氏監修による「森と芸術展」での講演に先がけての柏崎講演です。氏の祖父は児童文学者巖小波で、柏崎の「痴娯の家」の名付け親でもあります。
巖谷國士(いわやくにお)
1943年東京生まれ。東京大学仏文科卒、同大学院修了。今年3月まで明治学院大学文学部教授を務めた。20歳の頃に瀧口修造や澁澤龍彦と出会ったのをきっかけに、シュルレアリスムの道を進む。アンドレ・ブルトンをはじめとするシュルレアリスム研究の、日本における第一人者である。
ほかに文学・美術・映画・漫画の批評や、旅行、メルヘン、写真、講演など、多様な分野で活動している。
また展覧会の監修とそのカタログの執筆の仕事も多い。内外のアーティストや作家との幅広い交友関係を持ち、新潟の芸術家アンティエ・グメルスの紹介者でもある。最近では、4月16日から7月3日まで東京都庭園美術館で開催中の「森と芸術」展を監修し、カタログを兼ねた著書「森と芸術」(平凡社刊)を上梓したばかりである。
2011年4月2日〜10日
2011年2月27日
語り芝居 鬼 灯(ほおずき)
柏崎で育った獄中歌人・島秋人の生涯を舞台化した、語り芝居「鬼灯」の柏崎公演が実現する。島秋人は昭和34年、小千谷市で強盗殺人事件を起こし逮捕、死刑囚として7年を過ごす。恩師・吉田好道先生夫人・絢子さんの世話で短歌を始め、歌集『遺愛集』を遺して、昭和42年に刑死した。「鬼灯」は獄中の島と文通した、前坂和子さんの『空と祈り』を原作としている。
島秋人の舞台化は、これまでにポール牧による「死刑囚」、そのまんま東が演じた一人芝居「アキト」があるが、同じ脚本家・海原卓さんによって二人芝居「鬼灯」に生まれ変わった。「鬼灯」を演ずるのは、島秋人役の高塚玄さんと前坂和子役の森田典子さん。
高塚玄さんは、そのまんま東の芝居の舞台監督をつとめたことがきっかけで、島秋人の死を受容した無私の澄んだ心に打たれ、自ら演ずることを選んだ。「生きるって何なんだろう」と思いながら芝居を続けてきた高塚さんにとって、自分の追い求めてきたテーマにぴったりの芝居だったという。 高塚さんは、昭和23年静岡県牧之原市生まれ。演劇との出会いで大学を中退し、以来、大道具のアルバイトなどをしながら、芝居を続けてきた。映画「忘却の海峡」で主演、シアターΧ名作劇場などに出演している。NHK大河ドラマ「龍馬伝」にもちょこっと出た。1月3日オンエアのブルボン新春スペシャル「幻の古浄瑠璃東京見参! 越後國柏崎・弘知法印御伝記」のナレーションもつとめる。「鬼灯」は平成17年からライフワークとして上演を続けている。
島秋人が少年時代を過ごした柏崎での初公演は、高塚さんにとって特別の思いがある。「秋人を演じて一番思うことは、母を奪われた子供たちの事」という高塚さんは、柏崎ではそのことを意識して演じざるを得ないだろうことから、「怖いです!」と話す。しかし「低脳、貧しさゆえの病気のデパートといわれた秋人が、短歌と出会い、人間として成長していく様を感じていただけたら」と、柏崎の観客にメッセージを送る。